観客をストーリーに引き込むための最も重要な要素は、映画という名の旅を一緒に続ける主人公に共感できるかどうかだ。
「どんな映画なの?」という質問こそが、映画の全てを語る。この問いに答えられるかどうかが、売れるか売れないかの勝負を握っている。世の中には数えきれないほどの作品やアイデアがあふれており、短い時間で相手 ——映画会社の重役やプロデューサー、友人、観客—— の注意を引かなければならない。そこで「どんな映画なの?」に答えられなければ、その時点で終わりだ。だからこそ、一行の文を書くことに集中してほしい。この質問に対して、素早く、簡潔に、独創的に一行で答えられたなら、相手は必ず関心を持つ。
「一行で言うとどんな映画?」、この一行はハリウッドでは ログライン(もしくはワンライン) と呼ばれている。
良いログラインには、共通して 3 つの要素が含まれている。
まず必要なのは「皮肉」だ。例えば、「フォー・クリスマス」では、クリスマスという一家団欒の祝日のはずが皮肉な状況になってしまう•••。予測不可能(= 皮肉)な事態だ。つまり、良いログラインには人の気持ちを惹きつけるものがある。
2 つ目の要素は、ログラインから映画の全体像が見えるかどうかということ。良いログラインからは、パッと鼻が開くように全体像が想像できたり、潜在的な可能性が見えたり、何か面白いことが起こりそうな予感がする。つまり、色々な可能性をも想像させると言うこと。例えば、「ブラインド・デート」の「彼女は完璧な美女 ——— お酒を飲むまでは•••」。
あと、映画の時間設定も予測できる。「フォー・クリスマス」はクリスマス、「Ride Along」は週末の研修。
最後に必要なのは、「タイトル」だ。良いタイトルにも皮肉は欠かせない。しかもストーリーが透けて見えるようなタイトルでなければいけない。例えば、「ストレンジャー・シングス」のようなコンセプトを伝えながらも、ミエミエでバカっぽくないタイトルをつけられるかどうか。
つまり、良いタイトルに不可欠な要素は、ストーリーを象徴するような言葉だ。「どんな映画なのか?」をきちんと表している必要がある。例えば、「4 Christmas」は4つの家庭でクリスマスを表しているし、「Nuclear Family」からは「仲の悪い一家が核廃棄物の埋立地でキャンプするが、翌朝目が覚めると超人的パワーが身についていた」を想像できる。
ログラインとタイトルを考えたら、テスト・マーケティングだ。テスト・マーケティングとは、自分の書いたログイランをどう思うか、他人に意見を聞いてみること。自分のアイデアがどう受け取られるか・実際に他人に意見を聞いてみるのが最善方法だからだ。
「どんな映画なの?」の次に来る質問は、「どんな映画に・・・一番似ている?」である。
何かを生み出すということは - 映画のアイデア、登場人物の話し方、シーンなどで何であれ - 新鮮な捻りを加えるということだ。しかし、平凡でないもの、伝統を超えて一歩前進した物を作るには、まずはそれまでの歴史や伝統をよく知る必要がある。独創的な作品を生み出すには、まず過去の名作やジャンル(型)をしっかり学ぶことが大切だということ。なぜその型が「面白い」と感じられるのか、仕組みを理解してこそ、そこに自分なりの工夫を加えられるようになります。創作中に「これってパクリかも?」「ありきたりかも?」と感じたら、それは型を理解できている証拠。その時こそ、ひねりを加えたり、時代性をプラスすることによって、現代で語る意味が生まれる。
以下が私の選んだ 10 のジャンルである。
例:「ジュラシックパーク」、「ジョーズ」、「13 日の金曜日」など
このジャンルには二つの構成要素がある。一つはモンスター、もう一つは家だ。されあにモンスターを殺したがっている人間を加えると、どこの国でも誰にでも(原始人にでも)通じる話になる。
このジャンルの根底には、「危ない!・・・奴に食われるな!」という誰にでもわかる単純で原始的なルールなのである。
基本ルールは、まず「家」(海岸沿いの街、宇宙船のなか、恐竜の走り回る未来のディズニーランドなど)は逃げ場のない空間であること。そこで犯罪が起き - 大抵の原因は人間の貪欲さ(金銭欲や物欲など)にある - その結果モンスターが生まれる。モンスターは罪を犯した奴に復讐しようとし、罪に気づいた人は多めにみる。
モンスターにどんな新鮮味や捻りを加えて「あっ!」と言わせられるかが脚本家の腕の見せどころだ。
例:「スター・ウォーズ」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「オズの魔法使い」など
主人公は何かを求めて「旅に出る」のだが、最終的に発見するものは別のもの = 自分自身と言うストーリーである。
このジャンルに欠かせないのは、主人公が旅の途中で人々と出会い、色々な経験をすることだ。こういった出会いや経験には主人公を成長させる要素があるということだ。主人公の成長が「金の羊毛」のテーマとなっている。つまり、主人公の成長、どんな変化をしたのかがこのジャンルのテーマになっている。
例:「シンデレラ」、「アラジン」など
主人公が素敵な人物腕、夢が叶う価値のある人物だったら、願いは叶い(「〜があったらいいのに」が叶う)、人生もかわっていく物語。このジャンルは、人間誰しもそ言う願望が心の中にあり。、原始人でもわかるくらい単純で理解しやすいからえある。
「魔法のランプ」の基本ルールは、主人公がシンデレラのように酷い扱いを受けていることが多く、だからこそ主人公の願いが叶い、幸せになってくれることを願う。しかし、人間の性として、どんなに哀れで同情できる主人公でも、成功し続けると鼻につく。だから、主人公は最終的に魔法よりも普通の人間 - つまり観客と同じ人間 - でいるのが一番だと気づくようになっている。そして、「一番大事なのは道徳に適した行いをすることだ」という教訓が宵されていること。
例:「ダイ・ハード」、「ターミネーター」、「タイタニック」など
このジャンルの定義は「どこにでもいそうな奴が、とんでもない状況に巻き込まれる」である。つまり、自分に起こりうると観客が思うストーリーの一つなのだ。
このジャンルは二つの要素で成り立っている。一つは、主人公が観客と同じ普通の人間だと言うこと。もう一つはそんな普通の人間が勇気を振り絞って、解決しなければならない問題に直面していたということ。
この手のストーリーを鵜なく展開するには、とにかく大問題と悪い奴が必要だ。しかも悪者が悪ければ悪いほど、主人公kの行動は素晴らしく、勇気あるものに見える。主人公は自らの個性や地力を駆使して、何倍も強力な敵に立ち向かい勝利するから、感動が生まれるのだ。
例:「失われた週末」、「28 DAYS」など
40 才の誕生日にいきなり離婚して欲しいと切り出されたや会社にある日突然解雇を言い渡されるなど、辛い思い出にも誰もが共感する。
このストーリーは変化を描くという基本ルールに従っている。主人公が直面するつらく苦しい経験は、人生という名の力(どんなにベストな選択をしていても、人生には目に見えない、理解がし難い「モンスター」が襲ってくる、コントールできない不可解な力)によることが多いということ。例えば、アルコールや薬物依存に直面する話、思春期、老い、失恋、いじめなど全てそうである。これらの作品に共通するのは、つらいところを潜り抜けて初めて、主人公は解決策を見出すということ。
要するに、コメディーであれシリアスなドラマであれ、モンスターが主人公に忍び寄り、主人公はその正体に徐々に気づき、受け入れることで最後に勝利を収める。人生ってこういうものだ!ってことだ。
例:「ファインディング・ニモ」、「48 時間」、「パットとマイク」など
ヒットするのは「僕と親友」のストーリーには誰でも(原始人だって)共感するから。ラブストーリーも含まれる。
このストーリーは、最初「バディ」がお互いを嫌っているが、旅をしていくうちに相手の存在が必要で、二人揃って初めて一つの完結した存在になるという基本ルールに従っている。そうは気づいてもこいつがいなきゃダメだなんてたまったもんじゃない!とここでまた新たな葛藤が生まれる。結末に近くなると、「すべてを失って」の瞬間がやってくる(喧嘩)。しかし、お互いなくして生きていけないことに気づくきっかけであり、本当の別れではない。最後には二人を覚悟を決める。
例:「良いこと悪いこと」、「市民ケーン」、「チャイナタウン」など
人間の心の中には邪悪なのものがある。このジャンルは「犯罪」が「事件」として明るみに出た時に、その背後にある想像すらしなかったような人間の邪悪な性が暴かれるというジャンルである。「金の羊毛」とは異なり、主人公の変化を描くものではない。
探偵モノ、推理ものや社会派ドラマはこれに当てはまり、観客を人間の心の闇へと連れていき、スクリーン上の探偵が観客の代わりにその謎を解くかに見えるが、真相を突き止めるのは観客自身だということ。
本ジャンルの秀作は、私たち自身の心のレントゲン写真をスクリーンに映し、「俺たち人間は、こんなに邪悪なのか?」と問いただしているのである。
例:「スラムダンク」、「梨泰院クラス」、「チ」など
「バカ」は表面的には単なるバカな間抜け者に見えるが、実は最も賢い存在なのである。一見負け犬にみえるのでみんなに見下されているが、運と勇気を持ち、諦めない、そのおかげで「バカ」は最終的に光り輝く勝利を手に入れるチャンスに恵まれる。
基本原則は、負け犬の馬鹿に対してもっと大きくて権力の悪者 - 大抵は「体制側」 - が存在する。ところがそんな「バカ」が、体制側の連中をやきもきさせるのを見ると、観客にも希望が湧いてくる。
このジャンルに必要な要素は、一つはバカな負け犬 - バカでまぬけで無能に見えるため、成功するとは誰も思わない奴 -、もう一つは、そのバカが抵抗し反撃する体制または組織である。
実は賢いバカのストーリーは、社会のアウトサイダーの人生でもある。アウトサイダーが勝利すると、観客も何だか自分が勝利したような快感を味わうのである。
例:「ゴッドファーザー」、「カッコーの巣の上で」など
人間は一人では生きていけない。けれど、集団になると多数派の目的を叶えるために、少数派の目的は犠牲になることもある。このジャンルは、集団や組織、施設、ファミリーについて扱うジャンルであり、主人公は自分の属す組織に誇りを感じる一方で、組織の一員として生きるために自分らしさやアイデンティティーを失うという問題も抱えている。
このジャンルでは、組織や集団を動かす根源に狂気や自滅的なもの(戦争やいじめ、自殺など)があることが多い。個人よりも集団を優先することの是非を描いている。(集団のために自分を犠牲にすることがいかに狂気か)
このジャンルのストーリーは、新しく組織に入ってきた人物(新人)の視点から語られることが多い。観客も新人同様、組織のしきたりや独特の言葉に馴染みがない。「この組織がどうきのうしているのか?」という疑問を抱いた新人が、組織内の掟やしきたりがいかに重要か・いかれているかが次第に暴かれている。要するに、「俺とあいつらとどっちがいかれているか?」というストーリーである。
例:「ガリバー旅行記」、「スパイダーマン」など
このジャンルは、「難題に直面した平凡な奴」の対極にあり、超人的な力を持つ主人公が、ありきたりで平凡な状況に置かれるのだ。主人公は超人的な力を持ちながらも、人間らしさを持っている。だから読者は共感できる。問題が起きるのは、ヒーロー本人のせいではなく、彼を取り巻く周囲の人間たちの心の狭さのせいで、それゆえヒーローは周囲の人間から理解されない。ヒーローにとって、「特別な」存在でいることはつらいのである。しかし、ヒーローは自分よりも社会のために努力しようとする。
スーパーヒーローの物語は、人と「違う」とはどんなことか、独創的な考え方や素晴らしい能力を妬む凡人と向き合わなければならないとはどういうことかを観客が共感できるように描く。これだけヒットするのは、スーパーヒーローの持つ超人的な力に観客は想像力を掻き立てられ、彼らの抱える現実の辛さや苦しみにも共感するという絶妙なバランスが取れているからだ。
「どんな映画なのか?」を明確にする次なるステップは、「誰についての映画か?」を考えること。
アイデアやストーリーを伝える時、聞き手は「主人公」に引きつけられるからだ。観客の代わりをし、観客を共感させ、しかもストーリーのテーマを伝える主人公を作り出そう。主人公は人間もモノでもいい。読者の心を掴むような言葉を使ってその主人公をうまく描写し、ログラインに組み込む。(例えば、超安全志向の教師、集会所恐怖症の速記者など)
ログラインに必要な項目に付け加えよう。
主人公に形容詞を加えるだけで、人物像が明確になり、ストーリーも理解しやすくなって観客の関心は高まる。
最大の葛藤と原始的な動機を持ち、最大の変化をし、最大のインパクトを持つ主人公になるように「ふくらまして」いく。ストーリーにぴったりの主人公を加えると、アイデアやストーリーが生きてきて、ログラインが膨らむ。例えば、「超安全志向の教師」が「過保護な」警官と相乗りする羽目になるは、教師にとって試練の旅になる展開が掴める。
主人公は次の条件を見たいしている必要がある。
3番目については、気をつける必要があり、ついつい自分が魅力に感じる主人公は観客も魅力に感じると思い込んでしまう。私たちが相手にしているのは、誰もが楽しめるハイ・コンセプトな映画であり、国を超えた世界市場なのだ。必ず赤の他人に自分のアイデアを話してみて彼らの正直な反応を確認した方が良い。
主人公が決まったら、次は主人公の動機だ。動機はあくまで原始的でなければいけない。最後に悪役との対決場面があるとしたら、口喧嘩なんかじゃなく、生死をかけた決闘にまで発展させるべきだ。
なぜなら、人間は本能的で原始的なものに心を動かされるからだ。生き延びること、飢えに打ち勝つこと、セックスをすること、愛するものを守ること、死の恐怖に打ち勝つこと - こうした根本的な要求には、万人の心を掴む力がある。例えば、「Ride Along」ではフィアンセという設定をなくし、単に弱虫の教師が警官と相乗りするだけだったら、ご褒美が弱い。
ご褒美があるから面白さが増すのは、中世の古典でも現代のストーリーでも同じである。
では、主人公には誰がいいのか。観客が一番単純に反応するのは、夫・妻、父・娘、母・息子、元彼氏・元彼女である。それは観客の人生にも必ず存在する人たちだからだ。
どんなケースでも基本を忠実に守ることが重要。主人公は映画のテーマを伝える人物であり、一番葛藤し、最終的に大きな変化を遂げ、一番応援したくなるような人物にしなくてはいけない。主人公についてのストーリーなのである。
つまり、ストーリーの主人公は
ストーリーにぴったりの主人公が見つかった。原始的な動機もばっちりだ。だったらもう一度ログラインに戻って、それを付け加えておこう。ログラインはストーリーの基本ルールであり、DNS である。完璧なログラインができれば、それに従っていくだけで脚本は正しい方向へと導かれていく。
ログラインとは主人公のストーリーを簡潔に表現したものだ。主人公がどんな人物で、誰を相手に戦い、どんな動機を持つのかを 1, 2 行でまとめたものなのだ。つまり、明確な主人公と悪役、はっきりした動機、最大の葛藤をログラインに数行で簡潔にまとめられれば、必ずうまくいく。あとはとにかく従うこと。
アイデアが浮かび、主人公も決めた。次は構成である。何をどこに置き、どの登場人物が何をし、想像していたシーンがすべて必要かどうかを考える時が来た。
「シド・フィールドの脚本術」の三幕構成を拡充させた構成テンプレートを作成した。

各ビートを埋めるための説明はわずか 1,2 行で十分である。()の中の数字は、ビートの起こるページ数を示している。
映画の第一印象 - 映画のスタイル、雰囲気、ジャンル、スケール - はすべて「オープニング・イメージ」で決まる。例えば、「市民ケーン」では、何とも不気味な大豪邸が見えた後、謎めいた市民ケーンの姿が映る。
「オープニング・イメージ」はまた、主人公の出発地点を示す場でもある。観客がこれから一緒に旅をする主人公の「使用前」の映像を見せる場なのだ。ということは当然、「使用後」の映像 - どんな変化が起きたか - を見せる場もある。オープニング・イメージと対になっている、「ファイナル・イメージ」である。
登場人物の誰か(大抵は主人公以外の人物)が問題を提起したり、テーマに関連したことを口にする(大抵は主人公に対して)。例えば、「お金よりも大切なのは家族でしょ」や「よく考えてから願いをかけるのじゃぞ」など。主人公はこの時点ではその意味をはっきり理解していないが、やがてその言葉がとても重要な意味を持っていたことに気づくのである。これがテーマの提示である。
良い脚本には必ず、脚本家の論点や主張が色々な形で提示されている。こんな人生ってどう思う?賛成か、反対か?夢、目標には価値があるだろうか?組織で優先されるべきはこじんだろうか、組織だろうか?最初にテーマが提示され、次にテーマについての議論が展開される。主張に対する賛成意見。反対意見を吟味しながらさまざまな角度から問題を捉えたり、主張の是非を証明したりする。
主人公、ストーリーのテーマや目的をいきいきと設定する。さらにメインストーリーに出てくる登場人物の紹介も行われる。登場人物の特徴やのちに起こる問題の原因となる行動も提示され、主人公が最後に勝つためにはなぜ、どのように変化すべきなのかが示される。
主人公に必要なものや欠けている部分がある場合、それを見せるのもこのセットアップだ。私はこれを直すべき六つのことと呼んでいる。ここで主人公に足りないものをしっかりと見せることだ。直すべき六つのことは、繰り返しのモチーフや伏線として使われることもあり、また時限爆弾と同様にやがて爆発して主人公の身に災いが降りかかったりする。けれど最後には治っていくものだ。伏線として使う場合、うまく効くかどうかは、セットアップの段階ではっきりと伏線を見せているかが勝負になる。
映画のストーリーは三つの世界に分かれている。三幕とも呼ぶが、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーぜとも呼ぶ。テーゼで、観客は冒険や旅が始まる前の世界を見る。そこにはいかにもこれから大きな嵐がやってきそうな、静けさが漂っている。
フィアンセに振られる、電報、解雇の知らせ、余命の宣告、浮気現場を目撃、使いの者などすべてがきっかけである。セットアップで〈使用前〉の世界がどんなものかを観客に伝えた。きっかけでは、その世界をドッカーンとぶっつぶすのである。
きっかけによって主人公は人生を変え、幸せにたどり着く。
「悩みのとき」とは、よく考えるための時間なのだ。主人公は、自分の目標は実現不可能なんじゃないかと疑問に感じ、いろいろ悩む。本当に行くべきなんだろうか?思い切ってやったほうがいいのか?危険だなどと。
悩みの時で重要なのは、何かしらの疑問を抱くということだ。ここで疑問に対して答えを出したからこそ、主人公は自信をもって前進できるのである。例えば、フィアンセにふられたことがきっかけで、ハーバードのロースクールに行こうと決心するが、現実問題本当にいけるのか?と疑問が浮かぶ。しかし、主人公はロースクール適正試験にパスし、お色気たっぷりのビデオ論文を作って入学の許可をもらう。「大丈夫、いけるんだ!」答えが出た。
ここでは何かが起きなければならない。古い正解(テーゼ)を出て正反対の世界(アンチテーゼ)に進む瞬間である。二つの世界はあまりにも違うため、自ら入ろうという明確な意思が必要になる。
主人公は誘惑に負けたり、半分だまされたりして、なんとなく第二幕に進んではいけない。はっきりと明確な意志を持って、次の段階に進まなきゃいけない。自分の意志で行動するからこそ、主人公なのだから。
サブプロットは《ラブ・ストーリー》であることが多く、作品のテーマを伝えたり、メインプロット(Aストーリー)のターニング・ポイント後の衝撃を和らげながら、さらにストーリーを前進させるブースターロケット的な役割もする。
つまりサブプロットはちょっとした場面転換であり、新たな視点から捉えたメインプロットなのである。そして観客にとっては、ちょっとした息抜きになる。
サブプロットには、それまで登場しなかった新しい人物が出てくることが多い。セットアップでは紹介されていない人物や、まったく存在すら知らなかった人物が登場することがある。また、主人公とあきらかに対照的な登場人物だからこそ、サブプロットでうまく機能している。まさに典型的なアンチテーゼの登場人物なのである。
観客に対するお約束を果たす場だと言っていい。ポスターや予告編で使った一番おいしい部分なので、観客はストーリーの進展以上にこの《お楽しみ》に期待しているものだ。また、《ミッド・ポイント》までは危機的状況は起こらないので、安心して楽しめる。
お楽しみという名前をつけたのは、他のセクションに比べてトーンが軽いからでもあ。例えば、『スパイダーマン』のトビー・マグワイアは、突然身についた不思議なパワーを試す。また《バディの友情》映画では、二人はたいていここで喧嘩するのである。
主人公はこの「ミッド・ポイント」で「絶好調」(実は見せかけの絶好調だが)、主人公は望むものすべてを手に入れた気になっている。もしくはこれ以上悪くなりようがないほど「絶不調」になる。また、ここから「いきなり危険度がアップ」するのである。もうお楽しみは終わり、元のストーリーに戻るわけだ。
「ミッド・ポイント」と対のビートは、「すべてを失って」である。これは「見せかけの敗北」とも言われる。両者は正反対のビートなので、「ミッド・ポイント」が絶好調の場合は、「すべてを失って」では絶不調になる。