具体と抽象

目的

世の中何事も「わかりやすい」方向に流れていく。わかりやすい商品のほうがわかりにくいものより売れるし、会社でわかりやすいことをやっている人が必ず優勢に立つ。「わかりやすさ」の象徴が「具体性」。本でもテレビ番組でも公園でも「具体的でわかりやすい」表現が求められ、「抽象的な表現」は多数の人間相手には嫌われる。

しかし、「わかりやすさ」が求められるのは、社会や組織が「成熟期」に入ってからで、連続的な変化は起こせても破壊的な変化、世代交代は起こせない。世代交代・革命に必要な能力が「抽象化」という知的能力である。

本書の目的は、抽象概念を扱う思考力を高めて、発想力や理解力を向上させるたい人と、周囲の「具体レベルにのみ生きている人」とのコミュニケーションギャップに悩んでいる人に向けて書かれている。

具体と抽象の特徴

具体 抽象
直接目に見える 直接目に見えない
「実体」と直結 「実体」とは一見乖離
一つ一つ個別対応 分類してまとめて対応
解釈の自由度が低い 解釈の自由度が高い
応用が利かない 応用が利く
「実務家」の世界 「学者」の世界

1. 数と言葉

抽象化を利用して人間が編み出したものの代表例が「数」と「言葉」である。りんご三個も犬三匹、本三冊も「まとめて同じ」と考えることから「三」という数が成立する。鮪も鮭も鰹も鯵も、まとめて「魚」と呼ぶことで、「魚を食べよう」とか「魚は健康に良い」という表現が可能になる。鮪も何万匹といる個別の鮪を「まとめて同じ」と扱っているため名付けれられている。全て区別していたらどれだけ大変なことになることか、想像を絶することになる。

2. デフォルメ

抽象化とは一言で表現すれば、「枝葉を切り捨てて幹を見ること」と言える。つまり、「特徴を抽出する」ということで、様々な特徴を持つ現実の事象の中から、他のものと共通の特徴を抜き出して、ひとまとめにして扱うということ。「枝葉を切り捨てる」のが抽象化の基本である以上、必要以上に細部にこだわるのはマイナスですが、「神は細部に宿る」という言葉があるように、細部へのこだわりが重要になる場合がある。目的や方向性によって使い分けるのが良い。

例えば、一人の人間を「抽象化」するにしても、銭湯やトイレでは「男性か女性か」という特徴が重要であり、映画館の料金を決定する場合は「社会人か学生か子供か」という属性が最も重要な特徴である。
他には、モノマネや似顔絵でも、「写実的」ですべてが本物そっくりなもの、つまり具体レベルで似ているもので、もう一つはデフォルメされてどこが似ているかわからないのに似ていると思わせるもの。この「デフォルメ」が抽象化であり、特徴あるものを大げさに表現する代わりに、その他の特徴は一切無視している。

3. 精神世界と物理世界

物理的な実際の経験を、精神世界の感情や論理にまで延長させて、物理的な世界と同様の世界を頭の中だけで作り上げてしまう。これは抽象化の賜物である。例えば、ボールを「投げる」という物理的動作を「あきらめて放棄する」という抽象概念と結びつける。

4. 法則とパターン認識

抽象化の最大のメリットは、複数のものを共通の特徴をもってグルーピングして「同じ」として見なすことで、一つの事象における学びを他の画面でも適用することが可能になること。つまり、「一を聞いて十を知る」。

抽象化とは、複数の事象の間に法則を見つける「パターン認識」の能力とも言える。

例えば、「慣性の法則」のような理学の法則のものから「夕焼けが出れば翌日は晴れる」のような経験則、相手の表情から相手の感情を読み取れるのもパターン認識である。

5. 関係性と構造

具体は「個別・バラバラ」の世界で、それらをまとめて「関係性」や「構造」として扱うことを抽象化という。

例えば、鮪 → 魚 → 動物 → ... といった抽象化は、前者の後者の「部分集合」であるという関係で、F = ma のようなニュートンの運動方程式のような「法則」も大抵の場合はある事象と別の事象との「関係性」を示したもの。

関係性を一般化すると法則になり、複数の事象をまとめて「上から」眺めることが必要。
例えば、歴史では一つ一つの出来事から「因果関係」を捉えて、それを将来に活かすのが歴史を学ぶことの大きな意味。

抽象化のツールに「シンプルな図解」が挙げられる。図解は「関係性」を表現するためのもの。図解は「世の中の事象の関係性」の「研ぎまされた似顔絵」と言っても良い。

6. 往復運動

「たとえ話」は、説明しようとしている対象を具体的に掴んでもらうために、抽象レベルで同じ構造を別の、かつ相手にとって身近な世界のものに「翻訳」している作業と言える。つまり、例え話は「具体 → 抽象 → 具体という往復運動による翻訳」である。

うまい例え話の条件は、

  1. 例えの対象が誰にでもわかりやすい具体的なテーマである
  2. 説明しようとしている対象と例えの対象との共通点が抽象化され、「過不足なく」表現されている(品質に関係)
  3. 共通点が他の世界にはあてはまらないこと
  4. 相違点が説明したいポイントとは関係ないこと

例えば、「理学」は具体的事象から理論を導いて汎用化することが目的で(具体 → 抽象)、「工学」は基本原理から応用例を作り出して実践に繋げるのが目的(抽象 → 具体)である。

7. 相対的

「具体と抽象」という言葉自体が「相対的な関係性」を示す概念であり、絶対的な関係性ではない。
例えば、「個別のおにぎり」 → (抽象化) → 「おにぎり」 → (抽象化) → 「食べ物」・・・というふうにどこまでも続けていくことができる。

また、目的と手段の関係も相対的であるため、目的に対して手段は複数という形で階層が成立するが、目的はつねにさらに抽象度の高い「上位目的」が存在する。
これにより上司と部下で目標設定や会話などでズレや行き違いが出るのは「具体か抽象か」の尺度が相対的なものであるから

具体と抽象は「上下」で「階層構造」を築いていて、階層の上位が持っている性質を下位の階層がそのまま引き継ぐということが抽象化の威力である。これが、「一を聞いて十を知る」であり、抽象化の最大の意義は、「同種の集まり」の間での汎用性を高めるという「横方向」の応用に加えて、階層の上のルールや属性が下の階層にも同じように適用できるという点で「縦方向」の応用も意味する。

8. 本質

世の中の噛み合わない議論は「抽象度のレベル」があっていない状態で議論しているため起こっている。

例えば、「顧客の言うことを聞いていては良いものはできない」に対して、「顧客の声が新製品開発のすべての出発点である」。顧客の大多数は、製品の目に見える具体的な現象面しか見ていない、つまり「顧客の意見」は具体的な顧客の声を指し、「今あるものの改善」でしかなく本質的な解決には繋がらない。しかし、逆に顧客の声を無視して売れる商品が作れる訳もなく、ヒット商品は「顧客の心の声」を先読みした、抽象度の高いレベルでの顧客の声を反した結果である。
「このつまみ小さくして」や「もっと明るい色にして欲しい」は具体的な顧客の声であり、「使いやすくしたい」「他の人と違う自分仕様のものを持ちたい」といった要望が抽象度の高い顧客の声である。

抽象度が上がれば上がるほど、本質的な課題に迫っていくので簡単には変化しない。「本質をとらえる」はいかに表面事象から抽象度の高いメッセージを導き出すかを示している。

9. 自由度

抽象は「解釈の自由度が高い」ことを意味する。

例えば、小説と映画をとると、映像より文字のほうが情報量が少なく、表現の抽象度が高いので人によって全く異なる解釈をしている可能性がある。主人公が「清潔感を漂わせながらも、どこか野生の匂いがする 30 代後半の女性」といえば読者毎に勝手な想像ができる自由度があるが、映画の中で特定の女優によって演じられればイメージは確定してしまう。

人に仕事を頼んだり、頼まれたりするときにも人の好む「自由度の大きさ」を考慮する必要がある。具体レベルの世界で生きる人に、自由度の高い仕事の依頼をしたときに「たとえばこんな形で」と具体的なイメージを伝えると文字通りそのままやってしまう。逆に自由度の高い依頼をちゃんと捉え「好きなようにやっていいんですね?」とやる気になる人が「高い自由度を好む人」である。

10. 価値観

会社のオフィスワークや工場の作業などおよそ仕事というものは「抽象から具体」への変換作業である。いわゆる上流、つまり内容が確定していない企画段階から概要レベルの計画ができて、詳細レベルの計画になり、さらに詳細の実行計画へと流れる。
注意すべきは、最上流と最下流ではほぼ「違う仕事」といっていいほど、必要な価値観やスキルセットが変わる。

上流 下流
抽象度が高い 具体性が高い
全体把握が必須 部分への分割可能
個人の勝負 組織の勝負
少人数で対応 多人数で対応
創造性重視 効率性重視
多数決効果なし 多数決効果あり

上流の仕事は個性が重要視され、「いかにとがらせるか」が重要。意思決定は多数の人間が関われば関わるほど「無難」になっていく。逆に下流の仕事は、大勢に人にわかりやすいように体系化・標準化する必要がある。

これらのどちらを快適に感じるかでその人が上流の仕事に適した人か、下流の仕事に適しているかが判断できる。